新しい歳のはじまりに
時刻は午前4時前。
先ほどタクシーで帰宅してきて、すっかりタバコ臭くなっていた服を脱ぎシャワーを浴びた。

今からここに書くことは、たぶん情けないというかネガティブというか、とにかくかっこよくはないと思うのだけれど、素直な気持ちを書いておきたい。
(表向きのブログ等に書ける内容ではないものを書くために作ったこの場所なので、せめてここでだけは素直に綴りたいと思う)

今日、13日はわたしの誕生日だ。

毎年、誰に会う予定もない。
例年はひとりで気に入っているお店でささやかなディナーをしたり、ちょっとだけワイン飲んだり小さなブーケを買ったりということをしていた。
それはそれでとても幸せな気持ちではあった。

わたしは多分幸福感の強い日々を生きていてかなり自己肯定感高く生きているとは思う。
それでも、とても気をつけて言うと、過去の辛いことが思い出されてしまうときがあるというのもまた事実だ。それに完全に囚われてどうこうということはないんだけれど、弱っているときはこたえる。

とくに、バースデーにはその症状が発生しがちだ。
バースデーブルーとでも呼ぼうかしら。

今日12日(土)、たまたま鍼灸整体院のスタッフが、なんと全員そろって「ハッピーバースデー」を歌ってくれるというなんとも心温まるほっこりすることがあった。
ありがたすぎて泣けた。

でも、わがままだと思われても仕方がないけれど、そのことがあまりに温かくて優しい分、私の心は悲しくなってしまったのだ。もちろん顔にはださなかったけれど。(少し出てた?)

去年の誕生日は、終電まで仕事だった。
ずっと仕事して、日付が変わって誕生日が終わった。

今年、好きな人に会いたいと思っていた。
でも、ずっと言い出せなかった。何を恐れているんだろうと思うけれど。

わたしは、肝心なところで大切なことがいえないタイプなのだ。

今日(12日)は、好きな人と出会った馴染みのお店でお酒を呑んでご飯を食べていた。
いつもカウンターでひとりで、お店のママとパパとお話をする。

でも今日は、そこで知り合った年下の男の子たち(20代後半、30代半ば)と3人で終電後の深夜の街に繰り出して呑んだ。
日付が変わりお誕生日を迎えた深夜、そのまま帰りたくなかったからだ。

結局・・・





遠い国まで行くたびに
仕事でいくつもの新しい話がいっぺんにやってきてしばらくバタバタとしていた。
話のひとつは、また遠い某国(行ったことのない国)へ飛ばされる話だ。寝耳に水だった。
もう、昔みたいに「海外赴任=2年ないし3年の長期」の仕事は請けないのだが、今回は3ヶ月以上だという。長いよな。

世間一般からすれば長いこれまでの出張でも、せいぜい45日程度が最長だったけれど、3ヶ月とは。しかも、世界はコロナでまだ予断を許さないとき。
いくらかろうじて物理的にいけることになったとしても、諸々の制限でがんじがらめだしリスクも高い。
日本のように医療サービスも整っていないのは確実だから。命の危険もあるんですけど。

諸々、たくさんの事情があってわたしの派遣が議論されることに行き着いているんだけれど、でも同年代の同僚(男性)は子どもが生まれたばかりだから行けないと言われると、独身で子どももいないわたしとしては弱い。

でも、子どもがいないからって国内でのコミットメントがないわけではもちろんない。自由だと思われがちだけど、わたしはメインの仕事以外にもいくつもの名刺を持って仕事をしているので、それらを物理的にほとんど全部犠牲にして行かねばならぬこと、さらには3ヶ月もの間賃貸のマンションを空けることについて、想像してほしいものだ。もっというと、病気の母もいる。これは父もいるからそんなに大きくはないけどやはり心配だ。

子育てだけが人生じゃねえぞ。と声を大にして言いたい。


そして、これまでもれなく起きてきたことが、長期出張するたびにデートしていたひと(つきあってはいないんだけど)と終わるってことだ。ラインの返事が来なくなるってパターン、一度や二度ではない。

わたしはこんな風に海外に行くことが仕事であるわけで、わたしの仕事が理解できず、わたしが出張に行っただけで終わってしまう関係ならわたしの人生にとって終わって構わないものだってことは、よーくわかっている。それでもそのときはいつも思うのだ。

もう、行きたいくない、って。
少しの間だけだけれど、心折れそうになるのだ。

そうやって長期出張するのって、かなり心のエネルギーや強さが必要だから。

そして今、わたしには本当に好きなひとがいる。
単に「デートしている」関係じゃなくて、本当に心から好きなひと。


もう先月のことだが、仕事(半分プライベート)でオンラインイベントをやっていて、その時のゲストに来ていただいた男性がいた。

今日、たまたま一緒にそのイベントを運営している女性とオンラインランチでおしゃべりをしていたのだが、ちょうど二人だけだったのでその時の話をした。

イベントのゲストにきていただいた彼は、その彼女が「ぜひ!」と連れてきた方だったのだが、彼女の読み通り私の超タイプ(笑?)の人だったのだ。

もちろん、年齢はもうずいぶん上で50年くらいのキャリアがある方なのだが、若ければ紹介したかったと言われていたのだ。

しかも、今日のランチで話したのだが



行きつけのお店に行きたくなってご飯を食べに一人でいった

週の真ん中で他のお客さんもいなくて、カウンターでママ(店主)とパパと一緒に飲みながらたくさんお喋り

二人はわたしの両親とさほど変わらないくらいの年齢なんだけれど、結婚したのは数年前
二人の間にも紆余曲折あったのだ

そんな昔の話をたくさん聴いた
人生の先輩の話っていい
幸せな気分になるし、人生っていいなという気になる

わたしとわたしの好きな人のことも、話を聞いてくれた

そのお店で出会ったあの人とわたし
もう2年くらい前になるか、最初にカウンターで出会った日もすでに彼のことがいいわ、好きだわって思っていたわたしのことを、ママはよく知っている

縁があるのなら、時間をかけてでも必ずそうなるよ
というママの言葉が胸に染みる

二十代くらいの頃は、頭の中がお星様みたいだったでしょ?
でも今は違うでしょ、という話をした
そう、わたしの二十代といえば頭の中がお星様にお花畑に仕事の焦りに、とにかくぐちゃぐちゃだったかもしれない

今では仕事のキャリアも積み、日々けっこう幸せに暮らしていて自分の人生がかなり充実してきている
だからこそ、恋愛はもちろんのこと人間関係も変わるのだなとわかる

焦る気持ちはないけれど、この前久しぶりに彼にあってやっぱり好きだなぁと思ったことそれ自体が嬉しい

なので、自分の気持ちに素直にオープンに、自然に関係性を深めていければいいなとも思う

ママとパパ二人で、娘みたいなわたしの恋愛相談に乗ってくれるなんて、こんな幸せでありがたいことはない

感謝だな

Sex and the city 10年後、20年後もハッピーに
Candace Bushnellの昨年の著書”Is There Still Sex in the City?”を読了
(日本語訳もある。『25年後のセックス・アンド・ザ・シティ』)

往年の大ヒットシリーズSex and the Cityの著者によるエッセイだ

このエッセイでは、50代から60代、それ以上の人たちによるlove, sex, relationshipsが綴られている
赤裸々すぎなのでどこまでリアルなのかはわからないが、恋愛や結婚、子育てをワンラウンド終えて新しい関係性を築いていくひとたちの話だ

読んでいて、どよんとした気持ちとポジティブな気持ちの両方が生まれてしまった
50代はわたしより一回り上なわけだ

わたしは、結婚も離婚も子育てもしていないし、正直、恋愛関係はここ15年以上Mr. BIGのいないキャリー・ブラッドショウみたいなもんだ
まともな「彼氏」になったひとが皆無だし。(あ、エイダン・ショウもいないや)

多くの女性たちと同じくわたしもSATCにハマったパターンで、テレビシリーズも映画も繰り返し観た(ていうか未だに観てる)
30代から40代にかけてのキャリーたちは、まさに今のわたしと重なる年齢な訳だけど、あの数々の事例はリアルすぎてあるあるすぎて時々観るのがつらくなるくらい

そんなリアリティを描いたキャンデス・ブシュネルというひとがどんなエッセイを書くのか興味津々だった

本の中身はネタバレももったいないので詳しく書かない

わたしの周りにも素敵な50代の女性たちはたくさんいる
お友だちのひとりはちょうど10歳年上の素敵な女性なのだけれど、彼女は本当に可愛らしくて魅力的ないい女
見た目というより存在感とオーラと中身がかがやいていて、そしてセクシー
3回結婚していて、現在の夫は一回り以上若い。つまりわたしより歳下

現在の夫に出会うまで長く付き合って同棲してたボーイフレンドは17歳歳下だったそうで

とにかく彼女が歳下もいいんじゃない?とわたしにおすすめしてくるのには説得力がある
キャンデスのエッセイにもそういうパターンが出てくる

30代から40代、そして50代になると、人生のフェーズも変わり人間関係も恋愛関係も変わっていくのだろうな

そう考えると、いまこの時間がいつだってベストだし、いつだって幸せであるべきなんだ
ないものを比べるのではなく手に入るものをエンジョイする、味わう


そんなことが大切なのだなと

ちなみに英語版で読んだのはスラングとかどんな言い回しするのか知りたかったから
良い勉強になりますた



(少しずつリンクも貼らせていただきつつあるので秘密日記にも書きはじめます。ぜひよろしくお付き合いください♪)

これほど自分のことをわかってくれるひとなんていない
こんなにも自分のことをわかってくれるひとなんていない
これほど、わたしのことをすっと理解してくれるひとなんていない

そういう人間関係は、年齢を重ねれば重ねるほどとても大切で貴重だと思うし、少なくなってくるような気もする

だからこそ、わかってくれる=恋愛感情に直接結びつくかというと、それは違うというのは頭の中ではわかっている

恋愛感情というのは、自分の心の中の働きなのでとてもわがままだし自己中心的で自己満足的なもの、陶酔するものだ
それは、良いこととも悪いことともいうつもりはもちろんない

先週末、一週間前の土曜日に会いたいひとに久しぶりにあった

このところ、コロナだけが原因ではないけれど、一年以上前からずっと仕事のことでも空振りが続いて行き詰まり、これから何をしたいのかそもそも何をしたかったのか、などと答えのない思考をぐるぐると回して生きてきた

彼は本当に自由に生きていて、とても優秀で頭の回転が早いひと
いくつか年上

初めて出会ったのは2年以上も前になると思うけれど、行きつけのお店でだった
最初からわたしは彼のことが好きで、そのことはお店のママも知っていて
でも何度か会いデートしたこともあったけれど、わたしはこのひととパートナーになることはないだろうな、という思いもあった
なんというか、愛してくれるタイプじゃないだろうなとも思って別のひととデートしたり一年会わなかったりもした

それでも彼はわたしの心の中で特別な位置にいて、ずっとわたしはどうしていいかわからない彼への気持ちを抱いていた

こう言っちゃ何だが、わたしの仕事や様々な活動のことを理解できない男性とあっさり関係が終わるということが無数に続いていて現在に至るわけだけれど

でも、彼ほどストレートにディープに心に寄り添うような態度を取れるひとがいると、わたしのことをわかってくれるのはこの人しかいないという思いが、自分の気持ちを恋愛感情にぐらつかせる
20代だったら違ったのかもしれないな

今では、そのことだけで恋愛GOにはならない

それでも、とことん突き詰めて付き合ってくれて、心に寄り添ってくれたことで初めてわたしは、自分の心の深いところにあるディープなもやもやを言語化することができた
だからせめて心から感謝したいし、一緒に過ごせる時間は心から幸せだと思っている

先週、行きつけのお店で長時間話して、初めてこうやってちゃんと話してくれたねと言われた

わたしは、いつでも心をオープンにしているようで、本当は硬く閉ざしていたのかもしれない
そういうことに気づいた

ありがたい存在なのだろう

そしてストレートに好きな男、でもある

でも、ここから先、どうすればいいのかなという思いもある

「わかってくれる」ことと「愛してくれる」ことと「パートナーになる」ことは別のことだから

ただ、出会ってしばらく経つけれど、初めて心に触れ合うことができたのは本当に幸せなことなのかもしれない

なかなか、そこまでの人間関係ってつくることができないから

そんなあれこれな思いを抱えつつ、やはり心に触れてくれる人の存在には純粋に感謝すべきなのだろう

でも本当は、もう一度デートに誘うタイミングについても少し考えている

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